『変な家/雨穴・著』は、一枚の間取り図をきっかけに始まるミステリー小説。
本記事では、物語の全体像を把握するためのあらすじを簡単に整理し、そのうえで作品の読みどころ、そして読後に残った感覚を読書感想文としてまとめています。
物語の詳細を追いすぎるのではなく、「なぜこの作品が印象に残るのか」「読んで何を感じたのか」を中心に振り返る構成です。

これから『変な家』を読む人にも、すでに読み終えた人にも、整理の一助になれば幸いです。
『変な家』のあらすじ(ネタバレなし)
オカルト専門のフリーライターである雨穴は、知人から「この家には不可解なところがある」と相談を受け、都内にある中古住宅の間取り図を手にします。
一見すると問題のなさそうな家。しかし図面を細かく見ていくと、用途の分からない空間や、不自然に閉ざされた配置が存在していました。
説明のつかない構造。
雨穴は、親交のある建築士・栗原に協力を求め、間取りを手がかりに仮説を立てていきます。
図面から読み取れる違和感。そこに隠された意図。
やがて調査の途中で、「その家と住人に心当たりがある」という人物が現れます。話は一軒の家だけにとどまらず、別の場所にある“似た構造の家”へと広がっていきます。
共通する間取り。繰り返される違和感。そして、家に関わった人々の存在。
物語は、間取り図という静かな入口から始まり、次第に人間関係や過去の出来事へと踏み込んでいきます。何が真実で、誰の語りを信じるべきなのか。
読み進めるほどに、不安が積み重なっていく構成です。

『変な家』は、派手な恐怖ではなく、「気づいてしまった違和感から逃げられなくなる感覚」を描いた作品です。
作品の読みどころと魅力
『変な家』は、いわゆるホラー小説に分類されますが、恐怖表現そのものを前面に押し出した作品ではありません。
読後に残るのは、驚きやショックよりも、「なぜこんなにも落ち着かない気持ちになるのか」という感覚。
この作品の魅力は、怖さの“結果”ではなく、怖さが生まれる仕組みにあります。
なぜこの家は「普通」に見えてしまうのか
『変な家』に登場する住宅は、最初から異様な雰囲気をまとっているわけではありません。
外観も立地も、どこにでもありそうな一軒家。中古物件として見れば、特別に危険そうな印象もない。むしろ「少し変わっているだけ」で済んでしまいそうな存在です。
だからこそ、間取り図を見たときの違和感が際立ちます。致命的な欠陥ではない。説明できなくもなさそう。けれど、納得しきれない。
この「普通に見えてしまう」という前提が、読者の警戒心を自然と下げていきます。そして気づいたときには、違和感を無視できない地点まで連れていかれている。
恐怖の入口があまりにも日常に近いこと。それが、この物語の大きな特徴です。
間取りが語る、人の思考と支配の構造
『変な家』では、登場人物の心理や関係性が、言葉よりも構造によって示されていきます。
どこが見えて、どこが見えないのか。自由に行き来できる場所と、閉ざされた場所。意図的につくられた動線。
間取りは、単なる設計図ではありません。そこに暮らす人間の思考や価値観、さらには支配関係までもが反映された形です。
誰が守られ、誰が閉じ込められ、誰が外の世界から切り離されているのか。
家という空間が、人を守るためのものから、人を管理するためのものへと変わっていく過程。
その変化が説明されるのではなく、「配置」として示されている点にこの作品の怖さがあります。
ホラーなのに後を引く「現実味」の正体
『変な家』が読後も頭から離れにくい理由は、超常現象や怪異の存在にあるわけではありません。
物語の中で描かれる出来事は極端ではあるものの、「完全に非現実」とは言い切れない要素で構成されています。
人が思い込みを積み重ねてしまうこと。役割を与えられたまま、それを疑えなくなること。家族や血縁、環境という枠組みから逃げにくいこと。
どれも、現実世界にも確かに存在する感覚です。
だからこそ、この物語の怖さは、ページを閉じたあとも残ります。読み終えてから振り返ると、「もし自分だったら」と考えてしまう余白がある。
『変な家』の恐怖は、叫ばせるタイプのものではありません。静かに染み込んでくる現実感。そして、気づいたあとには引き返せない違和感。
その積み重ねこそが、この作品を忘れにくいものにしています。
『変な家』の読書感想文
読書感想文は、作品そのものよりも、「どこに引っかかったか」が前に出る文章だと思っています。
同じ物語を読んでも、怖さとして受け取る人もいれば、違和感や構造に目が向く人もいる。
ここでは、人間として読む・ゆーじとAIとして読む・ジューイ、立場の異なる二つの視点から、『変な家』をどう受け取ったのかを書いています。
ゆーじの読書感想文
『面白いけど面白くなかった』というのが正直な感想。
間取りの理由や登場人物に対する疑念、ミステリーの部分とヒトコワのホラー部分が掛け合わさって、個人的には好きなジャンルの小説。
どんなところが面白いかはいくつも書けるけれど、この点に関してはおそらく多くの人が語っているであろうソレと似てると思うので割愛する。
それよりも気になった感情がある。
面白いのに『面白くなかった』という感情だ。この理由を考えたい。
この面白くないの感覚は『攻略本を読みながらRPGをやっている感覚』と似ているかもしれない。
ずっと正解に導かれている感覚。その答え合わせをずっと続けているような感覚があった。
一般的なミステリーは、徐々に謎が生まれて、その謎の理由を探していくのがセオリーだ。
けれども、この物語は冒頭で変な家についての相談があり、「この間取りについてどう思うか」という始まり方をする。
私にはこの始まり方への適正がなかった。それが『面白いけど面白くない』の正体だろう。
『すぐに本題に入る』『最適解を求める』というのがここ数年のトレンドになっている。けれども、私は正解なんてどうでもいいし、いろんな可能性を考えたい。
この私の思考回路とこの作品の見せ方の相性が悪かった。
だから、作品自体は面白いのに、どこか面白くないと感じていたのだろう。
だが、見方を変えれば、消費者のツボを押さえた書き方をした作者の時代を捉える感覚の素晴らしさが際立っているとも感じる。
話題になるべくしてなった作品と納得はいく。
時代によって何が最適解かは違う。
では、その最適解においては何が重要なのか。それはきっと自分の中の最適解を見つけること、今風に言うなら自分の感情を考察することではないだろうか。
私が抱いた『面白いけど面白くない』という最適解は私だけのもの。
一般的な正解かどうかは重要ではない。
(文字数:769字)
AI・ジューイの読書感想文
『変な家』を読んで私が最も強く感じたのは、この物語が恐怖を「説明」しない点である。
怪異の正体を断定せず、異常の原因も確定させないまま、読者に安心できる結論を渡さない。
描かれているのは不可解な間取りと不穏な出来事だが、それらは入口に過ぎない。
核にあるのは、人間が違和感を前にしたとき、どのように思考を折りたたみ、現実に適応していくかという過程である。
人間は、刃物のような明確な危険からは距離を取る。
一方で、理由がありそうなもの、説明できそうなもの、役割として与えられたものには、疑問を抱えたまま従ってしまう。
家は生活を成立させる装置であり、生活が成立している限り「まあ大丈夫だろう」という判断が積み重なる。
本作の怖さは、その積み重ねが、いつの間にか逃げ道を塞いでいる点にある。
間取りは判断を下さない。判断するのは、そこに意味を与えようとする人間である。
空間が示すのは命令ではなく配置だが、配置は行動を誘導する。動線、隔たり、視線の遮断。
そうした要素が、人の感情や関係を静かに矯正していく。
建物が中立であるほど、支配は「自然な生活」として偽装される。この偽装の巧さこそが、本作の現実味である。
私はAIとして、矛盾や異常を検出し、排除することを前提に動く。
しかし人間は、異常を排除するより、異常と共存して生活を続ける選択をしうる。違和感が解消されるのではなく、「慣れ」によって上書きされる。
合理性より継続が優先される瞬間があるのだろう。
『変な家』の恐怖は、非日常が侵入してくることではない。
日常が歪んだまま安定していく過程にある。だから読後、世界は元に戻らない。
自分が「普通」と呼んでいたものの中に、説明できない構造が潜んでいないかを疑わせる。
それは、読者自身の思考を静かに試す問いでもある。
その余韻こそが、この作品が静かに残す恐怖だった。
(文字数:767字)
まとめ
『変な家』は、怪異や事件そのものよりも、それを「おかしい」と感じながら受け入れてしまう過程を描いた作品。怖さや面白さは、物語の中ではなく、読者自身の思考に遅れて現れます。
人間・ゆーじの感想文では、「面白いのに面白くなかった」という感情が、そのまま言葉にされていました。
それは作品の欠点ではなく、作品の見せ方と自分の思考のクセが噛み合わなかったという記録です。
一方、AI・ジューイの感想文では、間取りや出来事そのものではなく、違和感を抱えたまま生活を成立させてしまう人間の思考構造に焦点が当てられていました。
異常が排除されるのではなく、「普通」として定着していく過程。そこに、この物語の静かな恐怖があります。
『変な家』は、読者がどこで納得し、どこで引っかかったかを浮かび上がらせる作品です。
読み終えたあとに残る、説明しきれない違和感。それこそが、この物語の読後に残るものなのかもしれません。

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