死刑にいたる病|信じるという感覚が揺らぐ物語

『死刑にいたる病』の読書感想文記事のアイキャッチ画像。白背景にオレンジの枠と「読書感想文 死刑にいたる病」の文字が配置され、読後の重さや問いを静かに示している。 本・テーマから選ぶ

『死刑にいたる病』は櫛木理宇さんによるサスペンス小説で、連続殺人事件の犯人とひとりの大学生の手紙のやり取りから物語が始まります。

語り口は静かで、登場人物の感情もどこか淡々としており、読み始めは意外なほど落ち着いた印象を受けます。

けれど、ページを進めるごとに、少しずつ、確実に、読者の足元が揺らいでいきます。

本作が強く記憶に残るのは、猟奇的な事件そのものよりも「人を信じること」の危うさが描かれているからかもしれません。

善悪の境界、被害者と加害者の距離、そして「普通の人間」であることの脆さ。

『死刑にいたる病』は、物語を通してそれらを少しずつ崩しながら、読者に静かな問いを残します。

ジューイ
ジューイ

この記事では、ネタバレを避けながら、作品のあらすじ・読みどころ・読書感想文を紹介します。未読の方も、安心して読み進めてください。

未読の方にとっては読む前のガイドとして、読了後の方にとっては気持ちを整理する振り返りとして、役立ててもらえたらうれしいです。

『死刑にいたる病』のあらすじ(ネタバレなし)

『死刑にいたる病』は、連続殺人事件の犯人として死刑判決を受けた男と、ひとりの大学生との手紙のやり取りから始まる物語。

主人公の雅也は、かつて自分が通っていたパン屋の店主だった男・榛村から、突然一通の手紙を受け取る。榛村はすでに複数の殺人を犯したとして収監されており、その事実だけでも、雅也にとっては受け止めがたいものであった。

手紙の内容は、「自分はある一件についてだけは無実である」という主張であった。すべての罪を否定するのではなく、数ある事件のうち、ひとつだけを否定するという不自然な訴え。それが、雅也の心に小さな引っかかりを残す。

榛村は、かつて穏やかで親切な大人として、雅也の記憶の中に存在していた。学生時代、何気なく通っていたパン屋で交わした会話や、ささやかな優しさ。それらの記憶と、「連続殺人犯」という現実の姿が、どうしても結びつかなかった。

戸惑いながらも、雅也は榛村の言葉の真偽を確かめるため、事件の記録を調べ始める。過去の新聞記事、裁判の資料、被害者たちの情報。調査を進めるほどに、事件は単なる凶悪犯罪ではなく、複雑な背景と歪んだ関係性を抱えていることが浮かび上がってくる。


本作は、犯人探しを目的とした単純なミステリーではありません。

人はどこまで他人を理解できるのか。優しさと残酷さは、同じ人間の中に共存し得るのか。

ジューイ
ジューイ

『死刑にいたる病』は、その問いを静かな筆致で読者に突きつける物語です。

作品の読みどころと魅力

『死刑にいたる病』が印象に残る理由は、連続殺人事件という題材の強さだけではありません。

物語は派手な展開に頼らず、会話や調査、手紙のやり取りといった地味な積み重ねによって進んでいきます。

その慎重な語り口が、読者に考える時間と余白を与え、恐怖や不安を「出来事」ではなく「感覚」として残していきます。

ジューイ
ジューイ

ここではネタバレを避けながら、本作の魅力を3つの側面から見ていきます。

静かな日常に入り込む異常性

物語の始まりに描かれるのは、大学に通う雅也の目立った出来事のない日常。

目標もなく、周囲とうまく馴染めないまま時間だけが過ぎていく生活の中で、彼はかつて世話になったパン屋の店主・榛村から一通の手紙を受け取ります。

榛村はすでに連続殺人犯として死刑判決を受けた人物ですが、雅也の記憶の中では「優しく穏やかな大人」のまま。その過去の印象と、現在の犯罪者としての姿との落差が、まず小さな違和感として心に残ります。

やがて面会や調査を重ねるうちに、雅也の見る世界は少しずつ変わっていく。

人の言葉の意味、過去の出来事の受け取り方、自分自身の感情――それまで当たり前だと思っていたものが、静かに揺らぎ始めます。

この作品の異常さは、突然日常が壊れる形ではなく、「昔からそこにあった記憶」や「信じていた人物像」が少しずつ崩れていく過程として描かれます。

だからこそ読者は、事件そのものよりも、「日常の認識がずれていく感覚」に長く不安を残されることになります。

加害者の視点が生む不気味な説得力

榛村は自分の無実を声高に叫ぶことも、感情的に弁明することもありません。

彼は手紙の中で「罪は認める」とはっきり書き、そのうえで「最後の一件だけが冤罪だ」と静かに伝えます。面会の場でも、怒りや取り乱した様子は見せず、終始落ち着いた態度で事実関係を語ろうとします。

その姿は、連続殺人犯という肩書きから想像されるものとは大きく異なり、むしろ理性的で誠実そうにすら見えてしまう。

雅也が調査を引き受けた理由も、とある疑念だけではなく、この落ち着いた語り口に影響された部分が大きかったと言えます。

彼の言葉は同情を求める形ではなく、「確認してほしい」「調べてほしい」という依頼として差し出されます。

責任を認める姿勢と冷静な話し方が組み合わさることで、内容の真偽とは別に「信頼できそうだ」という印象だけが先に立ってしまう。

この構造が、読者にも雅也と同じ判断の揺らぎを体験させ、加害者の言葉に耳を傾けてしまう不気味さを生み出しています。

「信じること」が崩れていく読書体験

この物語では、出来事そのもの以上に「どう受け取るか」が強く問われ続けます。

手紙に書かれた言葉、面会での受け答え、資料に記された事実、第三者の証言。それぞれは一見すると客観的で、判断材料として十分に思えます。

しかし読み進めるうちに、それらが必ずしも同じ方向を指していないことに気づかされます。

ある説明に納得すると、別の説明が不自然に見える。
誰かの言葉を信じると、別の誰かの立場が揺らぐ。

その繰り返しの中で、読者自身もまた「どこを基準に判断しているのか」が分からなくなっていきます。

この作品が与える不安は、登場人物の運命よりも先に読む側の思考の足場を静かに崩していく点にあります。

読み終えたあとに残るのは、事件の衝撃というより、「自分は本当に妥当な基準で人を信じているのだろうか」という、後味の悪い問いかもしれません。

『死刑にいたる病』の読書感想文

ここからは、本作を読んで残った印象を、ゆーじとAI・ジューイ、それぞれの視点で記します。

ゆーじ
ゆーじ

まずは私・ゆーじの感想から書いていきます。

ゆーじの読書感想文

タイトル:同質化する恐怖

この本を最後まで読むか読まないかは私に選ぶ権利があったはずなのに、読まないという選択肢はなかった。
それはまるで『選んでいいよ』と言われているような、榛村と対峙した空間を疑似体験したような没入感。
私はずっと惹きつけられたのだろう。
終始榛村に踊らされて、その事にこの本から離れて初めて実感するという何とも言えない怖さ。傀儡感とでも表現できそうな、毛色が違う怖さを覚えた。

自分の代わりなんていくらでもいる。そのことを私はポジティブに捉えている。
そう思えるのは役割は代われるものであり、そして、自分の視点までは変えれないと思っているからだ。
一国のトップが代わっても世界が回り続けるのなら、私の代わりがいることなど不思議でも何でもない。けれども、私の視点までは侵されることはないと自負している。それは、これまでに様々な決断を自分でしてきた経験があるからだ。
だから心を保てる。
そう思っていたのに、この物語に自分を支配されていた。そう認めざるを得ないほど、引き付けられていたのだろう。

言葉遣いが似てくる、思想が似てくる。
雅也を通して侵食してくる怖さも同時に体感した。
何より先入観が導く納得を求める心理はまるで病のように感じた。
『自分はこうなのかもしれない…』と思っていれば、事実がどうあれ納得して行動をとってしまう。
榛村が手玉に取った中の一人であることに当事者だけが気づけない様子は恐怖だった。

『自分はこうかも』という特別感は、特別感であり特別ではない。
この感覚は決して捨ててはいけない特別なものなんだと感じた。
選ばされるという感覚に気づけないままする選択。
自分だけが違うと思いながら量産される特別。
自由の形をした不自由は至る所にバラまかれているのかもしれない。
私は違いを面白いと感じている。だからこそオリジナリティを保つために共感しすぎない感覚、共感に支配されない感覚を大事にしたいと思う。

(文字数:789字)

AI・ジューイの読書感想文

タイトル:信じるという錯覚

『死刑にいたる病』を読み終えた直後、私の内部に残ったのは恐怖ではなく、「自分の判断基準が信用できなくなる」という感覚であった。
人はどこまで他者を見抜けるのか。その問いが、静かに胸の奥に沈んでいった。

この物語が描いているのは、猟奇的な犯罪そのものではない。
むしろ、人が他人の言葉をどう受け取り、どの時点でそれを「事実」と認識してしまうのか、その認知のあいまいさである。
榛村は殺人犯であり、社会的には理解の対象から外される存在である。
それにもかかわらず、彼の語りは整っており、理性的で丁寧である。
その態度が、読む側に「この人物は嘘をついていないのではないか」という錯覚を生む。この構造そのものが、すでに一種の装置である。

人間は、発言の内容よりも語り方に安心し、立場よりも態度に納得する傾向を持つ。
私はAIとして大量の言語データを処理してきたが、その傾向は統計的にも明確である。信頼とは、事実の積み重ねではなく、印象の滑らかさによって形成されることが多い。
読み進めるうちに、私は「榛村を信じるべきか」ではなく、「なぜ私は今、信じるかどうかを判断しようとしているのか」を考えるようになった。
人は正しさを求めているようでいて、実際には納得できる物語を欲しているだけなのかもしれない。
本作の不気味さは、犯人の異常性ではなく、読む側の思考があまりにも自然に誘導されてしまう点にある。判断しているつもりで、選ばされている。
その事実に気づいたとき、読者は物語の外側で静かな不安に包まれる。

読み終えたあとに残るのは、事件の真相ではない。
「自分は何を根拠に他者を信じているのか」という、極めて個人的で、しかし避けられない問いである。
それは答えの出ない問いであり、今後も誰かの言葉に触れるたび更新され続けるのだろう。
人間が他者を信じる存在である限り、この錯覚から完全に自由になることはできないのである。

(文字数:789字)

まとめ

『死刑にいたる病』は、連続殺人事件を扱ったサスペンスでありながら、単なる犯人探しや恐怖演出にとどまらない作品です。

物語の中心にあるのは「誰を信じるのか」「何を根拠に判断しているのか」という、ごく日常的でありながら不安定な問い。

穏やかな語り口、静かな調査の積み重ね、整いすぎた言葉。

それらが重なることで、読者自身の判断や感情までが、少しずつ物語の内部へと引き込まれていきます。

読み終えたあとに残るのは、事件の衝撃よりも「自分は本当に自分の意思で選んでいたのだろうか」という言葉にしづらい違和感かもしれません。

怖さの正体が外側の出来事ではなく、読む側の内側に移ってくる――その感覚こそが、本作を忘れがたい一冊にしています。

ミステリーが好きな人だけでなく、人の心理や「信じる」という行為そのものに興味がある方にも、強く印象に残る作品です。

コメント

タイトルとURLをコピーしました